突然の義父の死



こんにちは。
先日義父が亡くなりました。
享年56歳でした。
通夜と告別式には300人近くの方が
ご参列下さりました。

義理の両親は周りから見ても
おしどり夫婦で義父が息を引き取ったのも
結婚30周年を迎えた翌日でした。


私もあんな夫婦になりたいと思っていた矢先で
本当に残念でなりません。

まだ家にも招いていないのに。
まだ孫の姿も見せられていないのに。
主人と野球する約束もしていたのに。
積もる思いと残された義母の心配と
主人の長男としての責任感と…


私のポジションはただの嫁の上、
そして親戚付き合い、交友関係の広い義父。
もちろん出てくる会話の中に
私が知る単語はひとつもなく、
ようやく親戚の名前は覚えたけれど
それでもきちんとは把握できず、
(親戚は両家合わせて50人近く)
はたまた交友関係では
義父が地元で自営業を営んでいたので
幼馴染から野球関連や仕事関連、
ご近所付き合いなどなど…


一緒にいても取り残されるのは覚悟していたけれど、
今の私の知識量では会話には参加できないなと思いずっと笑顔と愛嬌だけは忘れずに過ごしました。


そして見えてきた両家の溝も。(義父と義母)


疲れていたのか生理も止まり
湿疹が至る所に出来始め、
最後の方は吐き気に襲われていました。



主人の家族の事を思うと
私が弱音を吐いてはならんと
気を張っていましたが…



やっぱり、
ちょっと疲れたな。



続きはまた次の日記で^ ^





私の母親②〜一家の大黒柱〜


前回の続きです(^^)


父が退職するまでにも、
病院に通わせたり父の職場に連絡したり
精神障害者保健福祉手帳(鬱病の証明書)を申請して
手続きをしたり、労金からお金を借りたり
姉がいじめに遭っていたので学校に行ったり
忙しない日々が続いていました。


私はあまり迷惑をかけないように
塾にも通わず高校受験に向けて
ひたすら勉強していました。


そして父が退職すると、
ダブルワークを始めました。

お察しの通り家庭の状況は益々悪化。
姉は高校生になるも、学校まで車での送り迎え必須。
車の免許を取るも母のお金で全部支払い。
(本当は姉のバイト代で払う予定でした)
姉は塾も通っていたので更に家計を圧迫していました。


そんな中、父が退職金を母の財布から盗み出し、
貯金していたお金が底をつきました。
ブチギレた母はクレジットカードを
父の目の前で切り捨てていました。笑



思い出したくないくらい
母はやつれていったのです。



ただ姉がバイトを始めたので、
姉と母で生活費は何とかやりくりしていたそうです。


私には普通の生活をさせたかったそうで、
私だけが家族の期待の星だなんて
言われた事を覚えています。

からしたら私だけが蚊帳の外で
家族が大変な時に
「あなただけは気にせず笑って過ごせ」と
言われているようでなりませんでした。

案の定、私はみんなの気持ちを読んで
いつも笑顔を振りまいて機嫌を取る
「ヘラヘラロボット」に変身しました。笑


でも2人のおかげで
無事に高校を卒業する事が出来ました。



父と離婚してからは気持ちが晴れたのか、
以前よりも笑顔が増えました。

女子3人での暮らしは色々ありましたが
仲良く過ごしていたと思います。


最近は母も昔のことを
明るく話せるようになり
思い出して泣いたり
気持ちが沈む事も減ってきたそうです。

10年近く経って
ようやく消化出来たと言っています。



そんな苦労人な母親でした(^^)



背が低くてぽっちゃりしているので
私は母の事を「くまさん」と読んでいます。笑
お互い距離を取れば仲良くできる関係です(^^)



ここまで読んで下さりありがとうございました!







私の母親①〜楽をしたくて結婚した〜




今回は母親の話をしたいと思います。


母は3姉妹の長女として生まれました。
子供の頃は内気な性格で
学校の図書館が大好きだったそうです。
将来の夢は図書館の司書さんだったと
よく話してくれました。笑

部活は吹奏楽部でサックス奏者でした。
(私も母の影響で同じサックスを吹いていました。)
ただ難しいコンクール曲に打ち当たり
幽霊部員になったそうです。笑


そう、母は逃げるのが得意でした。



高校を卒業してからは
実家を出たいが為に上京したそうです。

しばらくはパン屋に勤めていたのですが、
勤務2年足らずで過労で倒れて辞めたそうです。笑

もともと身体が弱く、
食べるものにも気を使わない性格なので
仕方がない気もします。笑

インスタント麺を鍋で茹でて
直箸でつついて食べるという
生活を送っていたそうなので。笑


そんな母は父とお見合いで出会いました。
母の両親が父のことをえらく気に入ったそうで、
結婚を決めたそうです。
からしたら大手企業の人と結婚できる
=楽できる、大好きな子育てができる。
そう思ったのだと思います。


結婚してからは母は料理をきちんとこなし、
家事もしっかりしていました。
小さい頃は一緒にチーズケーキを焼いたり
揚げパンを作ったり、とても楽しかったです。

父の言う事にも従い、
スカートも履かなくなりました。
好みも合わせていたそうです。


引っ込み思案な母でしたが、
子育てを始めてから社交的になったのか
子供の為にと役員もこなしていました。


私の中では母は偉大で尊敬できる存在でした。
ハキハキしていて、愛想が良くて、少し抜けてて、誰よりも私達の味方でいてくれました。


ですが父の影響で大好きだった母も
次第に変わっていきました。

仕事を増やした事で家のことまで手が回らず
揚げ物や出来合いのものが増えていきました。

億劫になったのか毎日お風呂に入らなくなり
2〜3日に一度だけお風呂に入る生活になりました。
当時の私はそれが当たり前だと思っていましたが
この事が原因で姉も私も不潔だといじめに遭いました。



父に対してはストレートに物申す事が増え、
傷つく言葉ばかりが飛び交っていました。


休職中だった父は
母の手伝いをしようと食器を洗っても、
汚れが落ちていないから洗い直す!と言って
父が洗った食器をすぐに洗い直します。
一言お礼があれば変わるのでしょうが、
からしたら仕事が増えて
面倒だったのだと思います。

次第に父も家事を手伝わなくなりました。




そして父が鬱病になってからは
母の負担がさらに増していったのです。


長くなったので続きは後ほど(^^)

読んでくださりありがとうございました!






私の父親②〜離婚〜




前回の続きです(^^)



父は退職金をパチンコに費やしました。
お金が無くなれば母の通帳を盗み
生活費までもパチンコに注ぎ込むようになりました。


あまり怒らない母も
その時は泣きながら怒鳴っていました。


子供は2階に行っていなさいと言われ
姉と3畳の狭い部屋で泣きながら
喧嘩が終わるのを待っていました。



喧嘩が終わるとしばらくは
父と母は言葉を交わすことすらしなくなり
何か話す事があれば母は父に用件を書いたメモを
渡してコミュニケーションを取っていました。笑


あるとき、
「父は本当は子供が嫌いだったみたい」
母に言われました。
中学生だった私には重い言葉でした。


父に反抗しました。
自分が「死にたい」と言ったのか
父に「死んでしまえ」と言ったのか
記憶が曖昧ですが、
父に包丁を向けられました。
これで死ねば?って。


そこから父の事が大嫌いになりました。





父は母の両親(祖母)にまで
お金をせがむようになりました。


父がよく行くパチンコ屋は
最寄駅の近くにあるのですが
私と母が用事があって駅を降りた時
父がパチンコ屋の前にいました。
それを見た母が走って父を追いかけ
公共の場で喧嘩していたのを今でも忘れません。

本当にトラウマですし滑稽な話です。


そういえば、
パチンコ屋で隣の玉を盗み
警察にお世話になった事もあります。
姉が父を交番まで迎えにいきました。
娘に迎えられた父はどんな気持ちだったのだろう。
この時の父は感情がコントロール
できなくなっていたのだと思います。


精神科からもらった睡眠薬大量に飲んで
自殺未遂を起こした事もあります

私がこの前父に反抗したから?
私が死について話したから?
親が死ぬ、親が死のうとした、
トラウマになるには十分すぎる
出来事でした。



そしてお金が無くなり借金が100万円近く
膨れ上がり、母は離婚しました。


一軒家に住んでいたのですが、
そこに父を1人置いて
私と姉と母は引っ越しました。


後から聞いた話ですが、
そのあと家を売り払って
父は佐賀にいるお姉さんの家に
帰って行ったそうです。


今、父は何をしているのか、
どんな生活をしているのかわかりません。

たまに姉が連絡を取っているそうですが…



結婚式にも呼びませんでした。
また母や祖母に迷惑をかけられたくありません。



そんな私の父親でした。






ここまで読んでくださりありがとうございました(^^)








私の父親①〜お酒タバコパチンコ鬱病〜



今回は私の父親についてお話したいと思います。

私の父親は母の8歳年上で
お見合い結婚だったそうです。


大学を卒業後、大手企業に勤めていました。
無口な性格で友達もあまりおらず
好きなものはお酒、タバコ、パチンコ。
佐賀県から上京し、母と出会ったそうです。

身長も高く陸上部や吹奏楽部で活躍していたそうです。
あまりモテるタイプではなかったようで、
陸上部の時意中の人にフラれた話を聞いた覚えがあります。笑



そんな父ですが、
鬱病になる前はユーモアな一面もあり
一緒に献血センターに行ったり、笑
父の会社の企画したお祭りに
家族で遊びに行った事もありました。

私が小学生になった頃
私と姉は地元のミニバスケット
(通称ミニバス)を始めました。

そこから父と母の不仲は始まりました。

子煩悩な母は父を後回しにして、
ミニバスの役員になったり
PTAの役員になったりと
家にいる時間が無くなりました。

もちろん大会がある土日は
父のことは放置です。笑

母と私と姉はいつもセットでした。


多分父親は寂しかったんだと思います。
いつしかパチンコに足繁く通うようになりました。


夜ご飯も一緒に食卓を囲む事はありませんでした。
父は1人で夜ご飯を買ってきて
テレビの前に座り日本酒と
買ってきた焼き鳥で済ませます。
たまにお菓子を買ってきて、
家族に分け与えていました。笑


そして父の職場で部署の異動があり、
あまり得意でない所に配属が決まり、
仕事が嫌になったのか、
お酒を飲む量が増えテレビに向かって
怒鳴りつける事が増えていきました。

母は父に対して興味がないのか
離れて自分のお仕事をしていました。


会話はありません。
あるのはテレビの音と怒鳴る父親の声。



それが、次第に母と父の喧嘩をする声に
変わっていきました。


暫くして父は仕事に行けない程
病んでしまい休職しました。




母が父の職場に休みの連絡を入れる姿を
よく見るようになりました。


(そして私も父の真似をして
学校を仮病で休む事が増えたのを覚えています。笑)


父のことを心配して同僚の方が
家に来た事もあります。

けれど、父の容態が変わることはありませんでした。


そして父は鬱病になり仕事を辞めました。
退職金生活です。




長くなったので続きは後ほど(^^)


最後まで読んでくださりありがとうございました。







最近思う妊娠について③〜得る物と失う物〜


前回の続きです(^^)


そう、子供がいなくても
幸せに生きていける人生が浮かんでしまった。


だって私の1番の夢はもう叶っているんです。
今が凄く凄く幸せなんです。


そんな私が子供を授かった時、
後悔という言葉は生まれないか?
自分に余裕が無くなった時、
旦那を幸せにしたいと願っていた自分は
どこかへ行ってしまうのではないか?
子供よりも大切な存在を失うのではないか。




という事で、

子供を授かった時に得る物と失う物を
天秤にかけてみる事にしました。



▼得る物

*かけがえのない血の繋がった子供
*子供特有の純粋な気持ち、笑顔
*(多分)幸せな日々
*旦那との子育て奮闘記
*子供の成長と自分の成長
きっとまだまだたくさん…


▽失う物

*自分の時間
*旦那との時間
*お金
*心の余裕
*睡眠
*自己肯定感
多分まだまだたくさん…





そして



○気がかりな部分

*実家から離れているのでワンオペ子育て
*旦那は仕事で忙しい
*私の家族(実家)とはもう繋がりたくない
*両親からの金銭面やサポートはほぼ無い
*人間関係が苦手(私にHPS気質があるため)
*超インドア




そうなんですよね、
多分私は子供は好きだけど
子育てには「向いていない」




やれば出来ると思います。
自分なりに精一杯愛します。
がんばります。



けれど、
きっと1人での子育てに涙が溢れ
実家の家族からの
多干渉(姉も母も私の事大好き)に耐えきれず
ママ友にびくびく怯え
ああすれば良かったこうすれば良かったと
頭の中を無限ループしながら(HPSあるある)
地元の友達(子育て中)にはなかなか会えず
旦那のことに手が回らなくなり、
旦那の事は後回しにして
子煩悩な日々を送る気がしてなりません。
そしてそんな自分が嫌になって、
それを察した子供が
辛い気持ちになるかもしれません。
(考えすぎるのが私の性格です。)


多分そんなことも子供の笑顔を見れば
ふっとぶのかもしれませんが…




ただ、うまれる子供だって親を選べない
私だってうまれる子供を選べない。

障害の子が生まれる可能性がある。
双子の可能性だってある。



私の姉のように
手間のかかる子に育つかもしれない。
私のように家族のご機嫌取りのために
毎日へらへら笑って心身共に
疲れてしまう子供になるかもしれない。


みんな、
そこまで考えない。
きっと私は経験者だからこう考えてしまうけど、

妊娠はすごく幸せなイメージなのだろうか。



色々考えて出た結論です。


「子供はいらない」



また以前の実家にいた時のように
ストレスで毎日泣く人生を送りたくありません。



でも、欲しい気持ちだってありますよ。
でも、怖い自分がいるんです。




最近思う妊娠についてでした。




きっとこれから不妊治療に進むと思うので
その前に旦那に相談してみようと思います。


こんな考えだから私のもとには
コウノトリさんは来てくれないのだと思います。
逆にコウノトリさんに感謝します。
ありがとう。



ここまで読んでくださりありがとうございました(^^)









最近思う妊娠について②〜子供を産みたい理由〜




前回の続きです(^^)


そう、何故か心がもやもやする。



理由を考えてみました。


▼子供が欲しい理由

*旦那と子育てをしたい。
(家族が増えたら新しい経験が出来るから)
*単純に可愛がりたい。
(夫婦で守る存在が出来たら素敵)
*みんな子供を産んでいる。
(よくある理由)
*結婚したら子供をつくるのが当たり前な風習
*親が子育て大好きなので促してくる
*旦那の両親に孫を見せてあげたい



…よくある流れですよね。
私も当初は上記のように考えていました。



ただ、私には過去の家庭環境のトラウマがある。
そして、今の私には捨てられないものがある。


それが旦那との大切な時間と余裕ある暮らしです。




自己中と感じられる方もいるかと思いますが、
私にとっての幸せは夫婦仲が良くて
お互いに気遣いができて
楽しくゆっくり穏やかに過ごせる事。


籍を入れた理由は
子供が欲しかったのではなく
旦那の転勤で地元から離れて暮らしている為
籍を入れていた方が何かあった時に
お互い対処出来ると思ったからです。
(もちろん、私が会社員+家事という
二足の草鞋を履くのに限界を感じた部分もあります)


そして、結婚した事で私はパート主婦になり
全面的に旦那をサポート出来る様になりました。

小さい頃から憧れていた
「普通の暮らし」を
スタートする事が出来たのです。



私は今までそういった暮らしを
経験した事がなかったので、

*ご飯を一緒に食べる
*毎日部屋掃除をしてきれいに保てる
*手作りしたものを食べられる
*お互いの存在を尊重できる
*お金に余裕がある

あげればキリがないくらい
この「普通の生活」が出来ることが
本当に幸せです。
本当に本当に奇跡なんじゃないかと思います。




そう、
もう幸せなんです。


ここが私が思う友達との違い。




私に普通の生活をさせてくれた
旦那を幸せにしたい。



それが自分の幸せ。








ここに子供がいない事に
気付いてしまいました。




長くなったので続きはまた後ほど(^^)



ここまで読んでくださりありがとうございました。